2004年3月、TPPなどの日本経済への外圧先取りを狙いとして、国と沖縄県より高村のサトウキビ総合利用構想にプラント建設費用として3億円が拠出され、実証事業が始まった。
2005年、日経MJより、サトウキビ総合利用に関する取材があり、三菱製紙 機能材料事業部長として、一面にそのインタビュー内容が記載された。しかしこの時点では、この一年草の事業は、独立し、「専任で究める」テーマであると覚悟を決めていた。
2006年12月、サラリーマンとしての地位と収入を捨て、沖縄さとうきび機能研究所を設立して、事業インフラとしては東京と対極にある、沖縄粟国島に飛び込んだ。
2007-2011年にわたるさとうきび総合利用事業の成果は、商品説明、一年草総合利用、さとうきび総合利用の現状を見て頂ければ分かるように、それなりに、総合利用技術は商品開発と市場の確立まで含めて完成した。それらは決してサラリーマン兼任ではできないことであり、全てを捨てて邁進したなりのことはあった。しかし沖縄の異常なコストは事業の継続を断念せざるをえない大きなハンディであった。
沖縄県 粟国島 |
2012年、独立行政法人 農畜産業振興機構刊『砂糖類情報』に掲載 |
粟国島は直径5km、人口600人強で、2メートルの高波でフェリーは欠航、新聞、パン、牛乳が無くなる、コンビニは無く、食堂が2軒、雑貨屋が2軒、生活インフラでさえ大変なところで、事業インフラが良いわけはない。もし1,000人近い特定の外国人が来て住めば、粟国島はその国に実効支配される。サトウキビ農民に国際相場の8倍近い買い取り価格だけでなく、品質問題が起きても全て補填されてしまうのは、実は離島保護対策であり、コストに糸目を付けないのである。
2009年3月、沖縄さとうきびの事業へのアシストと将来へ向かって、ソルガム、ヒマワリなどの新しい研究を行うため、もったいないバイオマス株式会社を起ち上げた。
2011年、伊江島への移設交渉が沖縄県と始まった。移設費用として1.3億円の補助が用意されたが、約半年間の長い胃の痛くなる交渉の末、事業継続を断念した。ポイントになったのは東京で、坪15万円で建つ工場が離島では坪50万円であったことなどで残りの人生を賭けるわけには行かないと判断した。
2011年11月、財団法人 日本特産農産物種苗協会の『甘味資源作物特集』、
2012年3月、独立行政法人 農畜産業振興機構の『砂糖類情報』に続けてさとうきび総合利用の記事を書くことになったが、総括となった。
2012年、日経ビジネス「日本を救う次世代ベンチャー100」に選出 |
ヒマワリとともに(左の写真:栃木県野木町 右の写真:青森県六戸町) |
2011年11月、散々悩んで決断した後の行動は早かった。2006年に当時ヒマワリ油からのバイオデイーゼルを研究していた筑波大学より、茎の紙への応用を頼まれたときに、油らしき成分が茎内部にあることが分かり、ずっと頭にありながら研究できなかった。東京都中小企業振興公社の助成の期限が迫っていたこともあり。すぐに、ヒマワリ茎ピス部の親油性の実証実験に動いた。岡山県笠岡市ヒマワリの里で茎を分離し、和歌山県田辺市の紀州美食で粉砕し、昭和女子大で3週間のマウス試験を実行した。渡辺睦行先生は電話で「期待していいですよ、糞が全然違う」と答えた。結果的にヒマワリピスはコレステロール、中性脂肪を吸着して排出する効果が、通常の食物繊維より4-10倍高いことが分かった。
2012年、さとうきびピスでソーセージのつなぎに使い、鶏肉ソーセージを開発していた、鹿児島ますや 米増社長がヒマワリピスのつなぎ効果に驚いた。「これがあれば誰でも無添加ハム、ソーセージができるようになる。リン酸塩代替として有望」。
その後、恵比寿のハムソーセージ会館1階にある食肉科学技術研究所に通うようになる。最初の無添加鶏肉ソーセージの評判は良くなかった。1年後ムネ肉100%でレト化(レトルト包装で120度4分で湿熱殺菌)を行ったもので研究所の評価は一変した。従来の技術ではレト化するとゼリー化し、缶詰のソーセージの様に、ふにゃふにゃになってしまうのが、ヒマワリピスのセルロース類の耐熱性と、包接効果により、耐熱性が付与され、無添加ハムの欠点である賞味期限の問題が解消される可能性が大きく示されたのである。また、10月には『日経ビジネス』が日本を救う次世代ベンチャー100に選出してくれた。この期待に応えなければならないと身の引き締まる思いだ。
2014年7月、体制が整い、完全無添加鶏ウインナーのネット販売が始まった。加工肉だけではなく、水と油に親しみ、包接効果が耐熱性、保香効果を上げる食物繊維は他に類がなく、ほんの少量の添加で(0.03-0.7%)で天然のつなぎ効果を出す、ヒマワリピスの「一匙の奇跡」が、ケミカルフリー食品の可能性を拡げたのである。